時々通る道の途中に、空き地がある。
長い間放置されていたのだが、だからこそこれは、かなり興味深い場所だった。季節によって、マメグンパイナズナ や 西洋アサガオ その他の雑草が、自然のままに生い茂っていたからである。
長い間放置されていたのだが、だからこそこれは、かなり興味深い場所だった。季節によって、マメグンパイナズナ や 西洋アサガオ その他の雑草が、自然のままに生い茂っていたからである。
ところが最近通りかかったら、こんな金網に囲われ、しかも雑草もほとんどなくなっていた。街中の空き地だから、いずれは何か建ってしまうのが自然なのかもしれないけれど、これは少々がっかりだ。ほとんど誰も気がつかないうちに、こうして街の様相は少しずつ変っていく。
幼い頃はよく原っぱで一日中遊んだものだ。大人になれば楽しみ方は違ってくるが、やっぱり原っぱにはワクワクする。それがなくなる寂しさにも、遊び場を奪われた子供が感じる気持ちと、似たものがある。
コメント
コメント一覧 (12)
なくなるとさびしいですね。
私の実家の前にも、子供のころは空き地で、弟と一緒によく遊んだものです。
思い出とともに蘇るのは、その空き地に捨てられた割れた空き瓶で、弟が足を切り、ナイロンの靴いっぱいに血がでて、慌てて両親と病院に行って縫ってもらったことを思い出します(^^;)
胡蝶
がしました
花や虫に興味を持つきっかけとなったのも空地でした。
小学校低学年の頃には東京(中野区)でもたくさんの空地があって、よく蝶やカミキリを捕まえたものです。
胡蝶
がしました
そちらでもやはりそうなんですねえ。
「原っぱで遊ぼう」なんて、今では「ドラえもん」のなかにしかない言葉かも。今の子供たち、原っぱってどういうものか、ちゃんとわかってるのかしらと思います。原っぱで遊ぶのは面白いのにねえ。
田舎のほうに行けば、今でもあるのかなあ。
胡蝶
がしました
あの頃は今ほど公園なんてものが整備されていませんでしたから。
おまけに公園は「○○禁止」ってのがやたら多くて。。。
やっぱり子供は空き地や原っぱこそが遊び場でしたよね。
で、胡蝶さんは原っぱでどんな遊びをされたのでしょうね。
私らは、かくれんぼと靴隠しが多かったです。
もしかして忍者ごっことか?^m^
胡蝶
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突然環境が変わって、それまで楽しみにしていた野鳥が見られなくなったこと、何度も体験しています。
手中の玉を突然失ったような気がしますね。
胡蝶
がしました
小さな空き地ですがいつも雑草でいっぱいなので、ここを通るのを楽しみにしていました。
胡蝶
がしました
子供の想像力で、どんな世界でも作れるし、草や虫からも、いろんなことを教えられたものです。
胡蝶
がしました
買いもの途中にちょっと寄れる、この程度の小さな空き地というのが、私にとっては便利でした。
最近の子供は忙しいこともあって、あまり外で遊ぶことがないのでしょうね。
胡蝶
がしました
うんと幼い頃は、兄たちにくっついて原っぱにいっていましたが、もう少し大きくなると、花を摘んだり、虫を眺めたり・・・ひとりで遊んでいたような気がします。
忍者ごっこは、中学の放課後にやったのを覚えていますよ・・・女の子ばっかりで~。
胡蝶
がしました
でもよく考えてみたら、当の野鳥にとっては、もっともっと深刻な事態なんですよね。
胡蝶
がしました
私も胡蝶の夢さんと同じように田舎で自然に囲まれて育ちました
今は空き地の横で畑をやってます
子供たちは生き生きしてますね
胡蝶
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じつは私は街育ちで、それでも近所には原っぱがあったので、そこで遊んだ記憶が懐かしいのです。
現在住んでいるクエルナバカも地方都市で、こんな空き地で遊ぶ子供の姿も見たことはないです。都市部と農村では、子供の遊び方も全く違います。
胡蝶
がしました