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アルフォンソ・キュアロン監督の映画「ローマ」 が、米国アカデミー賞を3部門(監督賞・外国語映画賞及び撮影賞)で受賞した。

演技経験どころか、興味すらなかったというヤリッツァ・アパリシオは、たまたま姉の代わりに行ったオーディションに受かって、主役を演じた。公開された映画は世界中で評判となり、彼女自身も各種映画祭における女優賞にノミネートされて、一躍有名人となる。幼児教育の勉強をしただけの、アオハカ州先住民出身の女性が、世界中のスターたちに混じってレッドカーペットを歩き、カメラマンのフラッシュを浴びることになったのである。その快挙を素直に祝福する人もいれば、やっかむ人ももちろん多く、毎日彼女に関する話題には事欠かない。

この映画が、メキシコ映画史に新しい扉を開いたと捉えられ、一種の社会現象にまでなっているのは、先住民の家事労働者を主人公としたこと、そしてそれを演じたのが、これまでの主演女優の概念(スタイルの良い白人系の美人)には全く当てはまらない、ヤリッツァだった事も、大きな理由だ。明らかに存在し、度々問題にもなっているものの、多くの人たちが見ない振りしてやり過ごそうとしているテーマ・・・差別や偏見、階級意識といった問題が、そこには大きく横たわっているのである。

しかし、映画「ローマ」から伝わってくるのは、差別や不平等の直接的な告発ではない。今の時代においても変わらずに、「田舎の村から出てきて、安い給料で何でもしてくれる便利な存在」である家事労働者たちが、喜びも悲しみもある一個の人間であるという、当たり前の事実である。また、やはり身勝手な男性の被害者である雇い主も含めて、女性というものの揺るぎない強さ、そして、そのことに対する大きな敬意と、優しい眼差しだ。

「撮影中はあたかも別の人生を生きているようで、素晴らしい体験だった」と言うヤリッツァは、演技の面白さに開眼したばかり。だが、映画に出てくるような、日の当たらないところで生きてきた人たちの間で、彼女はまるで英雄のような扱いだ。ヤリッツァに期待されているのは、大女優になることよりも、なかなか発言する場を持てない人たちの、代弁者となることなのかもしれないが。

好意的な意見と同時に、否定的な、時には明らかに侮蔑的なコメントにもさらされながら、どんな場面にあっても、ヤリッツァは堂々としている。