92f5e69d.jpg

先日は、謝らないメキシコ人 の話を書いた。

しかし、さほどに自らの否を認める事に慎重なメキシコ人でも、日常の礼儀、すなわち、他人にうっかりぶつかったり、或いは目の前を横切る時等の、「失礼」、「すみません」 という言葉なら、ほぼ反射的に発している。そして、「ありがとう」 という言葉に関しても、じつに気前がいいと思うのだ。人から受けるちょっとした親切にはもちろんのことだが、買い物をしたときも、バスやタクシーから降りる時も、お金を払ったこちらが、「ありがとう」と言うのである。最初のうちは違和感があったものの、今ではそれも習慣となった。

日本に帰国すると「ありがとう」という言葉が言いにくくて、やはり「すみません」と言うことのほうが多くなる。何故かと考えてみると、「ありがとう」だけでは、友だちや家族ならいいけれど、他人には少し軽すぎる。かといって「ありがとうございます」では、ちょっと仰々しい気がするのだ。そこで「すみません」や「どうも」という曖昧な言葉で、お茶を濁しているのではないだろうか。

スペイン語では「グラシアス」、英語の「サンキュー」、フランス語なら「メルシー」・・・どんな場合、どんな相手にも、気軽に使うことの出来る言葉だ。それは、飲食店や商店の従業員が唱える(サービス・マニュアルに関しては、日本ほど徹底して丁寧な国も珍しいだろう)、お辞儀の角度まで一律な「ありがとうございます」ではなく、個人としての気持ち、人間同士の交流である。
そして、「ありがとう」「どういたしまして」というやり取りは、微笑みを引き出す力も持っているのだ。