先日は、謝らないメキシコ人 の話を書いた。
しかし、さほどに自らの否を認める事に慎重なメキシコ人でも、日常の礼儀、すなわち、他人にうっかりぶつかったり、或いは目の前を横切る時等の、「失礼」、「すみません」 という言葉なら、ほぼ反射的に発している。そして、「ありがとう」 という言葉に関しても、じつに気前がいいと思うのだ。人から受けるちょっとした親切にはもちろんのことだが、買い物をしたときも、バスやタクシーから降りる時も、お金を払ったこちらが、「ありがとう」と言うのである。最初のうちは違和感があったものの、今ではそれも習慣となった。
日本に帰国すると「ありがとう」という言葉が言いにくくて、やはり「すみません」と言うことのほうが多くなる。何故かと考えてみると、「ありがとう」だけでは、友だちや家族ならいいけれど、他人には少し軽すぎる。かといって「ありがとうございます」では、ちょっと仰々しい気がするのだ。そこで「すみません」や「どうも」という曖昧な言葉で、お茶を濁しているのではないだろうか。
スペイン語では「グラシアス」、英語の「サンキュー」、フランス語なら「メルシー」・・・どんな場合、どんな相手にも、気軽に使うことの出来る言葉だ。それは、飲食店や商店の従業員が唱える(サービス・マニュアルに関しては、日本ほど徹底して丁寧な国も珍しいだろう)、お辞儀の角度まで一律な「ありがとうございます」ではなく、個人としての気持ち、人間同士の交流である。
そして、「ありがとう」「どういたしまして」というやり取りは、微笑みを引き出す力も持っているのだ。
そして、「ありがとう」「どういたしまして」というやり取りは、微笑みを引き出す力も持っているのだ。
コメント
コメント一覧 (6)
店員のサービスに対しての「ありがとう」であることに気が付き、驚きました。
「ありがとう」のあとには「おいしかったよ」とか、「また来ます」などの会話が続きます。
日本人は、サービスに対してそれが当たり前になってしまっていると思います。お金を払っているから当たり前だと思ってしまいがちですが、海外に行けばチップとして払うもの。
私は関西に住んでからは、全国どこに行ってもお金を払うときは「ありがとう」「ごちそうさま」など、必ず声をかけるようにしています。驚かれるときもありますが、大抵は笑顔になってくれます。
これが日本中に広まればいいのになあ。
メキシコ人と大阪人、明るいところが、似ているのかも^^
胡蝶
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確かに「ありがとう」の言葉の力は大きいと想います!
(このように、書いて頂いて、その事を改めて感じました。)
最近では、身体がぶつかって「すみません」と発しても何も言わず、ぶぜんと去って行かれる方も増えました。
又、その事を別段疑問に感じなくなってた私も居ます。
殺伐とした生活の中での「心からの(ありがとう)」は、人にとって、心のオアシス(?)だと・・・
これから、もっともっと感謝の表現を「ありがとう」の言葉に乗せて発することができればいいな!と想いました・・・☆
胡蝶
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胡蝶
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「ありがとう」と一言かけると、事務的だった相手の表情も、本当に明るく変化します。それが、こちらにもうれしいんですよね。
胡蝶
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メキシコに限らないのですが、知らない人でも眼が合えばにっこりするとか、ちょっとした会話を交わすことなどが、よくあります。でも日本人は、目が合ったら視線を逸らしますからね。
「ありがとう」と言われるのは、誰にとっても気持ちのいいことだと思います。
胡蝶
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ラテンアメリカの Gracias は、挨拶のようなものですよね。でもそういうことは、人間関係の潤滑剤になっていると思います。
日本ではそんな習慣がないので、なんとなく居心地の悪い気分になります。
胡蝶
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